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裏磐梯には、文学史に名を残した方々の歌碑や詩碑等が点在しており、現在も名所旧跡として
守られています。今は亡き昭和天皇ご夫妻の従医を務められていました水原秋桜子をはじめ、
日本赤十字平時災害救護発祥の地記念碑等を紹介致します。裏磐梯にお越しになったら、
文学碑を探して散策するのも趣があっていいですね。
ただ、冬期間は積雪のため見ることができませんので、雪解けまでお待ちくださいね。 |
| 五色沼で詠んだ句が刻まれています。秋桜子は自然の主観的写生に優れ、高浜虚子の門に出て、 「馬酔木」を主宰しました。代表的な句集に「葛飾」等があります。この句碑は五色沼の一つ 毘沙門沼の入口にあります。昭和13年10月建立。秋桜子の石碑として全国で第一号の石碑です。 |
| 五色沼で詠んだ句が刻まれています。水原秋桜子は今は亡き昭和天皇ご夫妻の従医を務めていました。 この句碑はホテル五色荘の玄関左横に、その隣には石岡恒喜の副碑があり、句碑の説明をしています。 昭和13年10月建立。秋桜子の石碑として全国で第九十号の石碑です。 |
| 『こは我等が思ひ出の宿なりなかば夢見心地の時ぞおくれる |
| 再来の日ありやなしやよしありとても過ぎし日はかえらじ |
| かたみに交わす愛の唄時に古ゆく哀しさよ』 |
| 福島県大信村出身で第7回芥川賞受賞作家の中山義秀が、のちに夫人となる会津坂下町出身の 赤田敏とめぐりあった追慕の情を、こまやかに歌った詩です。代表作に、「厚物咲」等があります。 詩碑は裏磐梯高原ホテル前にあります。昭和31年建立。 |
| 自 得 |
『桧原湖は暮れて磐梯月に聳つ』
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| 加寿女 | 『ありあけの夢はむらさきほととぎす』 |
| 松野自得は群馬県高崎市の生まれで、86才で没しました。加寿女は自得の妻。 昭和38年11月10日に、さいかち俳句会摺上支部主催による除幕式が行われ、 「磐梯比翼句碑」が完成しました。句碑は中瀬沼遊歩道の桧原湖側の巨大な磐梯石に刻まれています。 左上が自得、右下が加寿女の句碑です。 |
| 松野自得句の詳細説明 | 松野加寿女句の詳細説明 |
| 遠藤現夢は、磐梯山の噴火によって荒廃した裏磐梯を、幾多の困難と障害を乗り越えて 松の植林作業に取り組み、今日の緑豊かな高原の景観を蘇らせた人物です。歌碑は 五色沼遊歩道柳沼と青沼の間の道から約350m離れた所にあり、周りには現夢墓石と 現夢翁略傳碑もあります。 |
| 明治21年の磐梯山噴火のとき、日本赤十字社は医療救護員3名を裏磐梯に派遣しました。 このことが日本で初めての平時災害救護となりました。当時、世界の赤十字社は戦時救護を 目的として誕生しており、平時災害救護の先駆的な例として世界に注目されています。 記念碑は五色沼入口駐車場の一角にあります。平成元年9月25日建立。 |
| 桧原湖の北西、桧原集落の道端に建つ五輪塔で、会津芦名時代(1384〜1589)に 桧原の木地師たちの要請により、黒川城(鶴ヶ城)から来た穴沢一族の墓です。 山賊を退治する一方、会津侵攻を企てていた伊達政宗軍に対峙していました。 |
| 桧原湖上にある鳥居で、磐梯山が噴火する前にそこに集落があったことが分かります。 桧原湖の水位が下がると、参道へと続く並木の跡が当時の面影を偲ばせています。 |
| 裏磐梯にある石碑には、自然の美しさや情緒深いものを詠んだ石碑が多く、 その情景は今日にも受け継がれています。石碑等の他にも城跡や仏閣等の旧跡が数々あり、 情報収集が終わり次第ご紹介致します。 |
〒969-2701 福島県耶麻郡北塩原村裏磐梯高原秋元湖畔 |
旅館 ひばり荘 |
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