水原秋桜子による裏磐梯の句集





水原秋桜子は昭和初期に何度も裏磐梯を訪れ、沢山の句を詠まれています。その句は「岩礁」や「蘆刈」、「古鏡」や「磐梯」等の句集に掲載され、情緒豊かな句風として多くの皆様に読まれ、親しまれております。
ここに裏磐梯を詠まれた句を集めてみました。秋桜子による裏磐梯の世界を感じとって下さい。






岩礁 昭和10年



磐梯深秋
押しうつる霧や山肌をふかく秘む
ひろき嶺ただに削(そ)ぎ立てり霧はれて
霧はれて厳(いか)しき嶺を天(あめ)に見たり
削ぎ立てる嶺の裾原紅葉せり
時雨雲日をこぼしつつ照る紅葉
熔岩(らば)をしむむらさきとしぬ山紅葉
火の山の紫の山ぞ紅葉せる

檜原湖
時雨れつつ青き檜原湖に船出せり
時雨すぎ鳰(にお)あまたをり鵜もうかぶ
奥の江にわたる鵜のあり幾時雨
山紅葉きはまりぬれば鴨あそぶ

細野牧場
紅葉燃え渚に牛がひとつ立つ
濃き紅葉ひとむらけぶり炭焼けり

船着場
檜原湖をわたせし炭に照る紅葉


蘆刈 昭和13年



磐梯山と檜原湖

裏磐梯へ向かふ途上、山津波のあとを過ぐ
山津波新しき瀧を岨に懸く
瑞々し新樹泥塊に倒れたり
牧へ行く仔馬が瀧に打たれ過ぐ

瑠璃沼のあたり
新樹より梅雨さむき霧の噴きいづる
新樹より噴く霧に噎(む)せ人かくる
樹々鳴りて霧すぎ蕗(ふき)も立ちさわぐ
郭公や瑠璃沼蕗(ふき)の中に見ゆ
梅雨の蕗(ふき)瑠璃なす淵にしづくする
蕗(ふき)のかげ赤腹の魚群はしりたり
水清きつゝ新樹の楊(やなぎ)真白なり
瑠璃沼に瀧落ちきたり瑠璃となる

噴火の折、溶岩の押し出でし跡を見る
峰にして梅雨雲のひまに噴くけぶり
梅雨雲の天(あめ)より溶岩(らば)のなだれたり
見上ぐるや山躑躅(つつじ)燃ゆ溶岩(らば)の上
新樹伸び溶岩(らば)のなだれの年経たり

噴火口へ登る
新樹すぎ厳壁の豹(かお)にひた向ふ
厳壁にひとすぢの草を刷けり梅雨
厳壁の梅雨の青草を畏れ見る
夏薊(なつあざみ)赭(あか)き湯道に噴き出たり
岩かゞみ岩磊塊(らいかい)と岨(そ)に伏す
岩裂きて生ひし白樺の若葉せり
岩つばめひるがへる岨(そ)に雪古りぬ
地獄沼赭泥(しゃでい)となりて夏涸(か)れたり
岩つばめ赭泥(しゃでい)縦横に干割(ひわ)れたる

檜原湖を望む
梅雨の日の漏れて檜原湖の崎にさす
湖(うみ)かなし夏山の奥にかたむけり

火口の温泉
梅雨さむき裸身の人が溶岩(らば)に座る
梅雨の雲裸身をつゝみ溶岩(らば)に凝る
梅雨の雲裂けて裸身に日射したり
梅雨雲の裂けたる空に岳赭(あか)き
梅雨の岳の赭肌(あかはだ)をあふぎ温泉(ゆ)に座る

檜原湖舟遊
青き梅雨四囲の山よりふりそゝぐ
梅雨の湖青山の峡にあふれたり
あまたある島に鵜の鳥の梅雨ごもる
鷹(たか)翔(か)けて梅雨雲ながるその左右を
梅雨の鷹(たか)磐梯の雲へ翔(か)け入りぬ

細野牧場
梅雨の湖わたりて低き馬柵(ませ)を見る
梅雨の湖の岸に馬柵(ませ)結ふ低き馬柵(ませ)
梅雨の湖あふれて馬柵(ませ)を浸したり
牧守の家かも梅雨の簷(のき)ひくき
馬柵(ませ)くゞり仔馬が湖の岸に立つ
船寄れば仔馬新樹に馳せかくる

磐梯ホテル
ランプ吊りなほ暮れかねつ時鳥(ほととぎす)
時鳥(ほととぎす)しば鳴き清水蕗(ふき)を打つ
檜原湖の赤腹魚(あかはら)を夏の炉にあぶる
秋田犬夜を守り杜鵑(とけん)鳴きつゞく
夏炉の火消えたり山は雲湧ける
梅雨雲の渦巻く夜雲山をとぢぬ

帰路
夜鷹鳴き檜原湖に高き星ひかる
椿落ち招杜羅(しょとら)大将は眼をつぶる
百千鳥因達羅(いんだら)大将は黙(もだ)したり
遅櫻ちり敷くを踏みて堂をいづ


裏磐梯新緑

瑠璃沼のほとりにて
羊歯(しだ)伸びて檜原櫻は実となりぬ
火口壁かたむき新樹せまりたり
郭公や迦具土(かぐつち)の神けふしづか
楊(やなぎ)萌え山ほとゝぎすこもり鳴く
夏の鴨瑠璃沼に魚を獲て翔ける

磐梯ホテルにて
郭公や樋(ひ)もて引くなる火口の温泉(ひ)
郭公や赭(あか)き温泉樋(ひ)をぞ流れくだる

火口壁
うしろより夏雲(かうん)湧きつげり火口壁
湧く雲の雷はらむらしひた湧ける
雷雲に蒼く刳(え)ぐれたり火口壁
雷鳴りて谺(こだま)火口にこもりたり


古鏡 昭和15年



磐梯新秋

裏磐梯途上三句
馬柵(ませ)直(ひた)に嶺よりくだる葛の花
製材所山吹きおろす霧ぞ吹く
製材所紫苑(しおん)の霧が窓を搏(う)つ

噴火口登攀
温泉を引ける樋(ひ)のあたゝかに草紅葉
秋田犬従き来て霧に先立てる
兎跳ね犬をどり入る葛の花
犬待てり大岩霧に伏すほとり
地獄沼荒涼と芒穂にいでぬ
火口壁まなかひに失せて懲り吹けり
地獄沼霧はしるとき波たゝむ
霧のひま雪光る岨(そ)を犬ゆけり
湯華掻く岩うかびたり霧の瀬に
龍瞻やながるゝ霧を岩が堰く

噴火の湯五句
山霧や榾火(ほだび)に犬をいたはりつ
古峰(こぶ)神社御赦札(みそぎふだ)霧の炉の上に
山霧に祠(ほこら)まつりて温泉ぞ噴ける
霧にほひ岩の温泉白くにごりたり
鷹まへり疾風(はやて)がやぶる霧のひまに

檜原湖遠望四句
湧く霧の湧きつぐひまに湖(うみ)見ゆる
霧の湖のあまたの崎のひとつ見ゆ
裾山の霧や白樺立ちまじり
岩つばめ檜原湖を霧がまたかくす

細野牧場と檜原湖六句
馬柵(ませ)による波かぎりなし葛の花
船の波馬柵(ませ)に寄せ打つ冷かに
男郎花(おとこえし)仔馬が跳ねてかくれなし
夕波に磐梯が立てり霧晴れて
七夕の荒波をわたる舟ひとつ
七夕の湖榜(こ)ぐ舟を鵜が追へる

夜七句
七夕の空澄み火口雲もなし
火口壁星合(ほしあい)の空にしづかなり
噴煙のこよひをしるき星祭
迦具土(かぐつち)の神の火見ゆる星祭
空ちかく噴火の温泉あり星祭
星祭山霧下りて更けにける
樋のほとり虫鳴き温泉灯を消しぬ

朝の散歩七句
朝戸繰り火口に霧が渦巻ける
火口なる霧あふれ落ち雨はやし
瑠璃沼は霧すぎたればいや瑠璃に
うら枯れて瑠璃のさゞなみ蘆による
女郎花(おみなえし)押しわけ早瀬沼に落つ
岩が根に龍瞻が咲けり露しぐれ
何の木ぞ懸巣が踏みて露こぼる

檜原湖展望台三句
初あらし鷹を入り江に吹き落す
初あらし崎の楊(やなぎ)を吹きなびけ
初あらしあまたの崎へ波を刷く

帰途二句
檜原湖の隅に家見ゆ木槿(むくげ)咲き
檜原湖とわかれて野路の霧はやし


磐梯 昭和17年



磐梯山の秋

薄暮五色沼のほとりを磐梯ホテルに向ひて急ぐ四句
山薊(あざみ)秋晴の色を尽くしけり
穂芒の暮れてぞひくき渡り鳥
高空に草紅葉せり火口壁
穂芒をわけわけて行き終(つい)に暮れぬ

朝三句
佳き菊の黄菊活けをり朝日さす
一痕の朝月を窓に菊を挿す
初霜に温泉(ゆ)けぶり立ちて菊黄なり

山道二句
山葡萄むらさきこぼれ山日和
鵯鳴けり火口へのぼる山日和

ホテルの前二句
干菌(ほしきのこ)山の日和に反りかへる
茸(たけ)を干す日向(ひなた)や猛き犬もをり

檜原湖展望台二句
雲の影うごかぬ嶺の紅葉せり
波の寄る細野の牧(まき)もうす紅葉

檜原湖やゝ減水せり。かゝる時は湖底に沈みし村の杉など見ゆると聞きて
秋日照り湖底(うなそこ)の村に照りとほる

五色沼のほとりを行きて七句
左右の沼或(ある)は初鴨の水尾(みお)曳ける
道かはす人の背籠や茸(たけ)にほふ
秋晴や瑠璃の波寄よるなゝかまど
瑠璃の影魚にしたがふ秋日和
水底の岩窪の瑠璃や秋日和
餉(け)のあとを茸狩すなりしばしほど
餉(け)の籠にとり入れて小さき茸の傘

小野川湖遠望
野菊咲きおなじ色なる湖湛(たた)ふ

帰途二句
野路起伏火口芒に沈み去る
穂芒に蒼き火口のいまひらく



解 題



『岩礁』(がんしょう)

 昭和12年12月15日、沙羅書店発行。『秋苑』に次ぐ第四句集。定価2円20銭。
 四六判型、箱入。背皮、表紙和紙、本文上質紙の上製本であるが、装幀者の名はない。本文は12ポイント活字で1ページ3句組み、総ページ143ページで、昭和10年秋から12年に至る52篇308句を収めている。序も後記もない。
新興俳句の輝かしい旗手として昭和俳壇に爽やかな新風を吹き込んだ秋櫻子は、この頃無季俳句の方向へ急展開を示していた新興俳句とは明らかな一線を画し、きびしくこれを批判する立場に立っていた。秋櫻子の俳句は、有季定型の伝統をあくまで堅持しつつ、これまでの俳句に見られなかったみずみずしい近代味を、17字の世界に展開した。まこと新風の名にふさわしい爽昧と気品に満ちていた。

 しぐれふるみちのくに大き佛あり
 御垣(みかき)なす多摩の春山に雪敷きぬ
 向日葵の空かがやけり波の群
 大和なる夢殿にきたり春日暮る
 琵琶の湖の入江しづかに田を植うる

など、浪漫的で抒情的で、豊麗な叙景の美しさに当時世評の高かった句が多い。
 この句集で注目されるのは、著者名が水原豊となっている点である。豊は改めていうまでもなく、秋櫻子の本名である。秋櫻子の俳号に代えて、本名の豊を使用し始めたのは、昭和8年4月号の「馬酔木」同人吟欄からであった。その月、「馬酔木」では同人制を実施し、同人の自選句を発表した。これは当時の俳誌では初めてのことで、画期的ともいえる斬新な企画であった。石田波郷が若くして同人に推挙されたのも、この時である。その時、同人の中から、新しい俳句に挺身するわれわれが俳号などを使うのは古めかしいという議論が出て、篠田春蝉は悌二郎と、石橋竹秋子は辰之助と、それぞれ本名を俳名とした。秋櫻子が豊を使用したのもこの時からである。しかし秋櫻子を全く廃したわけではなく、「馬酔木」誌上の文章や「新樹集」の選者名には従来通り秋櫻子が用いられていた。秋櫻子・豊の併用であった。しかし著書に、豊の本名を署したのはこれが初めてで、かつ、最後であった。その後再び水原豊を著者名とした著書はない。しかし「馬酔木」の同人欄の作品発表に引きつづき水原豊の名が用いられ、それは戦後の昭和23年3月号まで継続するのである。そして翌4月号からは、秋櫻子に復し、今日に至っている。


『蘆刈』(あしかり)

 昭和14年12月20日、河出書房発行。定価1円60銭。
 四六判型、繊糸まじりの揉紙風な和紙の装幀であるが、装幀者の名はない。昭和13年新春から昭和14年冬に至る約2年間の61篇386句が収められている。本文は14ポイント活字で1ページ3句組み、総ページ172ページ、序も後記もない。
 『岩礁』につづき、著者の壮年時代の最も油の乗り切った時期の覇気と円熟を示す句集である。初期における顕著な短歌的詠法または連作俳句的な表現への傾斜、いわばパルナシアンともいえる手法から、漸次これを濾過し、これを融合し、これに洗練味を加えて、いわゆる秋櫻子風ともいえる豊麗典雅、感性の清新な世界が完成されている。そういう意味で秋櫻子俳句の展開の上に重要な意味と地位を占める句集である。ただ、本集には、秋櫻子俳句として有名な、誰もがよく引用する句は少ないが、たとえば、畝傍御陵における、

 松の花旅ごろも置きて手をきよむ

小淵沢付近における、
 桐咲ける雲凝りし上に岳の見ゆ
 牡丹燃え甲斐駒雲に入らんとす

強羅ホテルに山口誓子を訪ね、
 冬山のホテル豪華なり友と会ふ

磐梯山行の、
 瑠璃沼に瀧落ちきたり瑠璃となる

などを見ても、そこに流れているみずみずしい情感は、今日の秋櫻子俳句の上にも今なお変わらぬ清新さを以て脈々と息づき、秋櫻子俳句の原典ないしは典型としての特色と独自性を示していると思う。
 『蘆刈』の書名は、最終の篇名から取られている。


『古鏡』(こきょう)

 昭和17年2月11日、甲島書林発行。『蘆刈』に次ぐ第6句集である。定価2円50銭。
 四六判型、箱入。装幀画は森田沙夷の華やかな梅花色彩画。
 本文は12ポイント、1ページ3句組み、総ページ211ページで、序も後記もないが、昭和15年初めから昭和16年冬までの2年間、60篇502句が収められている。
 『蘆刈』が出てから3年目であるが、実質的には2年間の作品集で、当時としては、このように1、2年毎に個人句集が出ることは、一般の作者にはないことであった。秋櫻子俳句が如何に愛誦されていたか、また、作者として如何に旺盛な活躍を示していたかを物語るものである。句風の上にも『蘆刈』と同様、最も円熟した詩美を十分に発揮し、詩の美しさ、姿の美しさ、調べの美しさ、感情の美しさに溢れた観がある。書名は、集中の

 紀元節古鏡蒼々と光あり

の句から採られたものであろう。


『雪廬抄』(せつろしょう)

 昭和17年7月20日、石原求龍堂発行。定価2円80銭。
 四六判型であるが横長型で、本文は杉原和紙を洋綴りにしてある。箱入。装幀、題簽とも中川一政筆。表紙は水際に杭の並んだ図、扉は蘆辺を水鳥の遊泳する図である。
 本文は12ポイント活字で1ページ5句組み、総ページ数は143ページ。巻末に「後記」がある。
 本書はいわゆる編纂句集で、句集番号のないものである。内容は『葛飾』から106句、『新樹』から81句、『秋苑』から86句、『岩礁』から77句、『蘆刈』から99句を精選し、これに『古鏡』以後の新作35句を加えて、総計484句から成っている。しかし『古鏡』以後35句の中、「戦勝祈願」5句は、次の『磐梯』の冒頭に収められているので、それを除いた30句を、「『雪廬抄』抄」として収めた。この30句はいずれの句集にも収められていないもので、作句の年代は、昭和16年12月から翌17年1月までの2ヶ月間で、句集でいえば、『古鏡』と『磐梯』の中間を占めるものである。


『磐梯』(ばんだい)

 昭和18年12月20日、甲島書林発行。『古鏡』に次ぐ第7句集。定価2円80銭。
 四六判型、箱はなく、カバー付き。装幀は森田沙夷の薊の花の図。
 本文は12ポイント活字で1ページ3句組み、総ページ数は211ページで、昭和16年冬から昭和18年初夏までの58篇500句を収めている。
 本書が刊行された時、大東亜戦争はすでに危急を告げ、山本元帥の戦死、アッツ島の玉砕に戦局漸く重大を思わせた頃である。本書が従来のように箱もなくてカバーと簡略化し、本文用紙も実用的な上ザラ紙となったことからも、当時の緊迫しつつあった出版界事情がうかがえる。ページを開くと、冒頭に「戦勝祈願」の作、つづいて真珠湾、シンガポール、蘭印などの戦勝祝句があり、一方、大東亜文学者大会、戦ふ造船所、撃ちてし止まむ、山本元帥を悼みまつるなど、銃後の民の戦意昂揚、耐乏悲願の情をうたった句が多くなっている。その間、著者は赤城山、湯檜曾、磐梯山、軽井沢に旅した他、自然の景趣に寄せた詩情の句も多く作っており、戦時下にあってもたゆまぬ精進の精華を示しているが、今から見れば、再び思い出したくない苦難苦渋の戦中俳句がかなりの量を占めている。そういう戦時俳句がなければ、用紙の配給も受けられず、容易に句集などの出版もできなかった時代である。自然の風物にのみ心を寄せるのは時局を弁えざる有閑の従であり、妄りに自己の感懐を述べるのは反戦非協力者であるとの刻印を捺された時代である。新興俳句の人たちが検挙されたのもこの時期で、「馬酔木」についていえば、加藤楸邨、石田波郷らが同人の名を消すに至ったのもこの時期である。今から思えば、想像も難いほど暗く抑えられた時代であった。その時代をひたすら己が俳句を守りつつ生き抜いて来た著者の真摯にして必死な求道者の姿が、本書の各句を通し、各句の行間にもうかがえようと思う。(村山古郷)

水原秋櫻子全集第二巻句集二より裏磐梯を詠んだ句を抜粋

水原秋櫻子全集第二巻句集二
昭和五十三年九月二十日第一刷発行  昭和五十四年八月三十日第二刷発行
定価二九〇〇円
著者 水原秋櫻子  発行者 野間省一  発行所 株式会社講談社
印刷所 凸版印刷株式会社  製本所 大製株式会社





〒969-2701 福島県耶麻郡北塩原村裏磐梯高原秋元湖畔

旅館 ひばり荘

TEL 0241-32-2355

FAX 0241-32-2567     ご宿泊予約フォーム





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