松野自得



松野自得と加寿女


桧原湖は暮れて磐梯月に聳つ


「ひばらこはくれてばんだいつきにそびえつ」



 県営山の家を過ぎ、左へ入る中瀬沼遊歩道を進むと間もなくこの碑がある。磐梯山の時落下したももという、高さ6メートル、幅3メートルほどの巨大な磐梯石(輝石安山岩)に刻まれている。
 自得1895生〜1975没は群馬県前橋市の生まれ。上野美術学校で小室翠雲らに師事。また中村不折について六朝書道を研究した。第一回院展に入選、日本南画院院友でもあった。昭和3年「さいかち」創刊とともに、その雑詠選者となっている。群馬県俳句作家協会初代会長。群馬県文化賞、同県文化功労賞を受け、全国俳句作家協会理事でもあった。大正14年にはすでに若松に来てシャボン玉吟社を創立している。
 「桧原湖は・・」の句碑建立の事情について、「さいかち」(昭和38年11月)誌上に、「句碑」と題する自得の随想が載っているので引用してみる。
 「・・昭和37年10月6日、さいかち一党30名と共に吟行し、尾瀬林業観光株式会社経営の白樺の家に泊まった。・・私は湖畔の夕霧に包まれながら磐梯山を仰いでいたが、少し寒くなったので、白樺の家へ戻って暖かい山菜料理に満腹して、部屋の窓から半月のかかる磐梯山を仰いだ。一切の知恵分別を忘却して霊感を祈るような気持ちで山に向かった。その時得たものが、

  桧原湖は暮れて磐梯月に聳つ

であった。その時大橋よし子さんが、こういう絶景に先生の句碑を建てたいものですねと言われたが、私は本気にもしなかった。それから今年6月再び多勢で吟行した。その時に句碑を建てたいという希望を話しただけで、白樺の家勤務の斎藤金盛氏がわらびとりに行って、いい石を見つけたというのである。まあ見ておいて下さいといわれるままに見たところ、磐梯山の一角が飛んできて落ちたと思われるような巨岩である。初はこの巨岩に、わが句を彫って万代まで残すかと思うと、わが芸術の貧しさに身ぶるいした。だが、その話は夢であるので、平静な気持で帰った。
 9月12日、とし子さんから長距離電話がかかって来て、明日尾瀬林業の社長鹿沼光治氏と常務の横山氏に逢いに行きますから同行してくれというので、上野駅の待合室で逢ったのが、午前6時、構内の食堂で朝食をすませ、芝浦の会社を訪問して、社長と横山氏に面会、快諾を得たのである。
 句碑の石は、亀が起き上がったような形で、高さ20尺、横9尺の巨大なものである。多少の凸凹があるので考慮しては字が書けないので、一切平面と見て、最善寺本堂70畳の仏間で、自ら画箋紙を10枚つないで書いた。しかも書く時間が一日しかない。私は中国の泰山碑の文字が好きで、一生に一度はこれぐらいの大文字を書いてみたいと思っていた。それがいま叶えられてうれしかったが、さて筆を投じて見るとそうはゆかない。
 ありがたいことには、福島の松本緑郎さんという石やさんが、金銭を度外視して精魂を尽くし懸命に彫ってくれた。しかも時日がないので四人の弟子をつれて、山に篭って12日間家へ帰らず精励してくれたのである・・。」
 昭和38年11月10日に除幕式が行われた。主催は、さいかち俳句会摺上支部、後援は、尾瀬林業観光株式会社であった。





〒969-2701 福島県耶麻郡北塩原村裏磐梯高原秋元湖畔

旅館 ひばり荘

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